ステイトメント

1964年に「オブジェを消せ」という啓示を受け、概念芸術を打ち立てた松澤宥というアーティストがいた。

“オブジェ”とは、フランス語で物体、客体、また目的という意味をもつ。「オブジェを消せ」とは、一体どういう意味であろうか。

松澤の言わんとしていたこととは、物質的な“もの“が消滅したとしても存在するもの、それこそが真実であるということであったように思う。ということは、2006年にこの世を去った松澤は今も量子的に存在していると言えるだろう。本展覧会では、松澤宥と今生存しているアーティストたちが展覧会を通していかにコミュニケーションを取り合えるのか、ということを目的としている。

 

松澤の主張していたことは、2010年代後半から話題となった実在論系哲学の論旨と符号している。今年2022年は松澤の生誕100年という記念の年である。松澤がアートで実践していた存在への問題提起は、仏教やアニミズムのような日本的(注1)な感覚からすると何も真新しいことではないかもしれないが、「オブジェを消せ」から60年近く経った今、改めて認識できないものの存在、概念の存在、想像世界の存在、死者の存在というものが、2022年の私たちにはより身近な問題となってきているように思う。それは、今まさにパンデミックからロシアとウクライナに端を発する世界的な緊張状態など、スペキュラティブな未来が到来してしまった今、現実自体が悪い夢のようであり、認識できないものの存在や想像できない未来によって世界の輪郭自体がゆらいでいるかのようである。

世界の分断が顕になっている今、松澤も言っていたように「人類消滅」という言葉も現実味を帯びてくる。

想像していた以上に長引くコロナ禍によって、家から出られずに直接人に会うことが困難な状況が、身体性の希薄さに拍車をかけ、それに伴い現実感も失われていく状況が原因の一端であることは言うまでもない。社会全体がコントラ・フェストゥム(注2)といわれるような解離的特徴が加速され、過去と未来から断絶され、ヴァーチャルな”今”に没入するしかない。

これらの状況からも、“現実“が現実性を失い、私たちは現実とヴァーチャルの境界がひどく曖昧になっている。それは危険なことにも思えるが、悪い面ばかりでもない。

展覧会タイトルの”庭“や”夢“とはシミュレーションであったり、ヴァーチャルである。また、それぞれ時空間における”あいだ”である。庭は自然と人工の“あいだ”であり、公と個の“あいだ”である。夢は時間軸における意識と意識の“あいだ“だ。これらの”あいだ”では様々なことが起こり、様々なものに出会う。そこで起こる出来事や出会う対象は未だ名付けられる前、言語化される以前の曖昧な何か、存在の卵のようなものである。

 

本展覧会が、この曖昧な“何か”(量子的松澤宥含む)が発生、出会う場として、参加作家や鑑賞者が新たな世界、新たな自己を発見できる機会となれば幸いである。 

 

(注1) ここでいう”日本的”とは、古代より海外から様々な文化が伝来し、混淆・醸造されてきた独自の文化のことを指す。

(注2) コントラ・フェストム…「祭りの彼方」の意。野間俊一「身体の時―〈今〉を生きるための精神病理学」
    

三野綾子